1920-2012 日本(山形) 画家
6歳で左目を失明。8歳で画家上村廣成に絵の手ほどきを受ける。1936年画家を志して上京。1949年、第34回日本美術院展に初入選。美術評論家今泉篤男と出会い、以後その指導を受けることとなる。1951年日本美術院同人の田中青坪に師事。1955年の第40回院展で奨励賞・白寿賞、以後院展で数々受賞し、同人となる。奥村土牛が法林に預けた門下生と、法林門下生により組織された画塾濤林会を結成。
1974年ヒマラヤシリーズに着手、鳥瞰の視点によるスペクタクルな風景作品を発表した。1991年日本美術院理事に選任。94年日本芸術院会員となる。1998年文化功労者となり、2004年文化勲章受章。