赤瀬川原平、高松次郎、中西夏之の3名によって1963年に結成されたグループ。グループ名は3人の苗字の頭を英語に直し並べている。その他の参加者は流動的で、和泉達、刀根康尚、小杉武久、川仁宏らも活動に参加した。山手線に奇怪な格好をして乗車する、街中に白衣姿で現れて街頭を執拗に清掃するなど、その活動は社会と芸術の関係性に焦点を当てたものが多い。また活動終了後は3名それぞれが活発に活動した。赤瀬川は著名な「千円札裁判」を起こす他、漫画、雑誌、小説などに介入しながらキッシュとアヴァンギャルドの境界を歩くよう活動し、高松は芸術表現の意味を探るように概念の世界に作品を進め、中西は絵画の世界を中心に独自の表現を追求した。
「反芸術」を掲げ、1960年に8ヵ月のみ活動した前衛美術集団。リーダー格の吉村益信のアトリエである新宿ホワイトハウス(設計:磯崎新)で結成された。猛烈な言葉、姿勢で先行世代の芸術を否定し、「反芸術」を実践した。
結果として実現しなかったが、グループの方針を物語るエピソードとして、芸術の象徴たる美術館を爆破することを計画していたとも伝えられる。
メンバー:吉村益信、篠原有司男、赤瀬川原平、荒川修作、風倉匠、有吉新、石橋清治、上田純、上野紀三、豊島壮六、岸本清子、田中信太郎、田辺三太郎、吉野辰海、升沢金平、木下新 ※ゲスト:三木富雄、工藤哲巳
美術評論家・詩人である瀧口修造のもとに集まった芸術家によって1951年に結成された芸術グループ。
美術家の山口勝弘や北代省三や駒井哲郎、写真家の大辻清司、作曲家の武満徹や湯浅譲二、音楽評論家の秋山邦晴など、メンバーはジャンル横断的であり、その活動は戦後の前衛芸術運動のなかで先駆的な役割を果たしている。
メンバー:瀧口修造、園田高弘、福島秀子、武満徹、湯浅譲二、鈴木博義、佐藤慶次郎、北代省三、秋山邦晴、山口勝弘、駒井哲郎、福島和夫、今井直次
1954年、吉原治良を中心に兵庫で結成されたグループ。過去の絵画の延長では無く、全く新しい表現を求め独自性を追求した。代表的な作家として絵画を足で描く白髪一雄、絵具を瓶に入れ支持体に叩きつける嶋本昭三、電飾された服を制作、そのイメージを活用した田中敦子などが挙げられる。近年ではニューヨークのグッゲンハイム美術館で大規模な回顧展が開催されるなど、国外において最も認知された戦後の前衛芸術グループでもある。
メンバー:東貞美、伊勢谷圭、今井祝雄、今中クミ子、、上田民子、上前智祐、浮田要三、大野糸子、大原紀美子、岡田博、岡本一、小野田實、金山明、河村貞之、菅野聖子、聴涛襄治、喜谷繁暉、木梨アイネ、木下淑子、坂本昌也、酒光昇、柴田健、嶋本昭三、白髪一雄、白髪富士子、鷲見康夫、関根美夫、田井智、高崎元尚、田中敦子、田中竜児、辻村茂、坪内晃幸、中橋孝一、名坂千吉郎、名坂有子、鍋倉武弘、猶原通正、橋上よし子、藤川東一郎、船井裕、堀尾昭子、堀尾貞治、前川強、正延正俊、松田豊、松谷武判、水口強一、向井修二、村上三、元永定正、森内敬子、山崎つる子、吉田稔郎、ヨシダミノル、吉原治良、吉原英雄、吉原通雄、渡辺宏
「もの派」は1970年前後に木、石、鉄、ガラスといった無加工の「もの」、またはこれらを組み合え合わせることにより生まれる関係性を提示することで作品とした芸術家の一群を指す。李禹煥の理論を軸に展開されたこの運動は、関根伸夫「位相-大地」(1968)を李が評価し、理論付けたことを起源とされる。また実際にグループが在った訳ではなく、自然発生的に呼称されるようになったため、「もの派」に含まれる作家の中でも李禹煥や菅木志雄など一貫して”もの”にフォーカスした作品をを展開する作家もいる一方、高松次郎や吉田克朗などは一時代の作風にその傾向が見られていたが、作家本人としても「もの派」と言われることに世間と自分自身への認識の乖離を感じていたケースも多い。
一般に「もの派」と分類された代表的な作家としては李禹煥、関根伸夫、菅木志雄、高松次郎、成田克彦、吉田克朗、小清水漸、榎倉康二、野村仁、狗巻賢二、原口典之、高山登などが挙げられる。
現代美術家・村上隆により2000年代にキュレーションされた同名の展覧会、及びそこで示された概念のことを指す。広い余白を持ち近法的効果に重きを置かない表現方法などを、ファインアートと見なされる伝統的日本画と美術らしくないとされる漫画やアニメのセル画的表現の共通点として見出し、それにより日本において美術的なものとそうでないとされるものの境界があいまいだということを示した。
現代美術の中心とされる欧米から見ればこの日本のオタク文化なども内包した活動は、明快で民族的な独自性を持った現代のジャポニズムとも捉えやすく、国際的な成功を得た数少ない日本の芸術運動ともなった。また価値観が逆輸入される形で、日本国内においても村上自身や奈良美智に代表されるアニメ的表層を持つ作品、または日本でのサブカルチャーの捉え方が見直される契機ともなることに成功した。
1949年に日本画という側面から表現の追及を目指し結成された関西の前衛美術グループ。「パン」は「汎」を、「リアル」は「リアリズム」を指す。因習にとらわれた日本画壇の打破や、モティーフ、材質技法に於ける膠彩芸術の可能性を押し広げることを志した。代表的な作家としては、人体曼荼羅に代表される死生観が強く反映された作品を製作した三上誠、コラージュ、人拓画等もとりいれた星野眞吾などが挙げられる。社会的主題や鳥をモチーフとした作品で知られる下村良之介などが挙げられる。
1951年に大阪で瑛九を中心に結成。特定の造形思考は持たず、反公募展を掲げ、むしろ権威に縛られない自由な創作活動を志向した。翌年には瑛九の浦和への転居を契機に東京にも進出し、大阪と東京の2拠点で以後活動することとなる。瑛九自身の活動同様に画家だけでは無く、細江英公など多ジャンルの作家が多いのも特徴。
他に代表的な作家は靉嘔、池田満寿夫、泉茂、磯辺行久、河原温、利根山光人、吉原英雄などが挙げられる。