1940- 日本(長野県)
現代美術の様々な試みが行なわれる中、東西冷戦下の西ベルリンに移り住み板と水溶性の顔料を用いる日本の伝統的な木版画ではなく、西洋版画の古典的な技法である銅版画に深く沈潜する。活火山として溶岩による造山運動や浸食を繰り返してきた浅間山と、情緒や感情を排した無機的な造形物としての人間の営みを対比させた風景を銅板に固着せしめた。
日本国内では版画家としての長岡を紹介する展覧会は1.2度しか開催されておらず、作品に対する認知度は低いが、1977から1980年にかけてヨーロッパの数々の版画展で受賞し、国際的に高い評価を得ている。