1930-1981 日本(長野県) 帝国美術学校(現武蔵野美術大学)に入学するも中退。 中央線沿線に住み、池田龍雄らと交流をもつ。 34歳での結婚後、アルコール中毒に苦しみながら油彩を制作し続ける。 40歳代後半、アルコール中毒治療のため入院するが完治に至らず、1年余の入院から退院後まもなく自殺。 没後、針生一郎から絶賛され、東方画廊などで多くの個展を開催。
平田淳三 山本弘人 伊藤高詞
山本弘文編
Hiroshi Yamamoto
長谷部由起子/山本弘/松下淳一/山本和彦/笠井正俊/菱田雄郷
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