1926-2010 日本(京都府)
中学時代に書を始め、戦後は辻本史邑、篆刻を梅舒適に学ぶ。京大文学部で美学を専攻。1951年に日本書芸院展で推薦一席・文部大臣賞、翌年、前衛書道の奎星会展でも最高賞を受賞。日本書芸院と奎星会の審査員を務めたが、組織に束縛されることを嫌い、32歳で無所属となる。写真家や美術家ら他ジャンルの芸術家と競作展を開催。自作の詩に絵を添えた「詩・書・画一体」のユーモラスでおおらかな芸術世界を創造した。中国の書の古典研究に通じ100冊を超える著書があり、読売新聞の「気流」欄や「本よみうり堂」の題字を担当。奔放な創作活動で「書道界の風雲児」と呼ばれていた。