1930-1996 日本(東京都) 前衛作曲家
1948年、18歳の頃より音楽をほぼ独学で学び始める。
1950年、第7回新作曲派協会においてピアノ曲「2つのレント」を発表し作曲家デビュー。翌51年には瀧口修造によって結成された芸術集団「実験工房」の結成メンバーとして参加。
1967年、琵琶と尺八とオーケストラによる「ノヴェンバー・ステップス」を発表。この作品を契機として武満作品は海外で多く取り上げられるようになった。
「タケミツ・トーン」と呼ばれた独特の響きは、世界中の演奏家、音楽ファンを魅了した。