1880-1977 岐阜県 画家。画壇の仙人と呼ばれる。 黒田清輝の高い評価を得、東京美術学校を主席で卒業。 樺太調査隊に同行し、アイヌの人々に魅せられる。結婚生活は、極貧のために子供を相次いで亡くした。 さまざまな経験を経て、写実的であった守一の作風は、表現主義的な画風へ以降。やがて、極端なまでに単純化された、抽象的な具象画のスタイル「モリカズ様式」を確立。 晩年は、鳥や猫、虫や植物といった身近な自然をテーマにした作品を数多く残した。
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