1928-1985 日本(京都府) 終戦直後、行動美術京都研究所で学ぶ。 1952年に上京し、岡本太郎の呼びかけで国際アートクラブに参加。 1960年代初頭、新聞紙、ボタン、釘などを使った抽象的なコラージュ作品を数多く制作。 43歳でうつ病を発病後は、無彩色のシルクスクリーンや、白い絵の具と僅かな陰影のみで描く作品など、無駄な要素をそぎ落とした絵画のあり方を追求していった。
Taizo Yoshinaka
吉仲太造
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