今週入荷した作品の中から1点を選んでご紹介いたします。
【鈴木清順草稿「落葉松」】
戦後を代表する映画監督である鈴木清順の直筆草稿が入荷しました。
幽玄な世界を紡ぎ出す独特の映像表現は「清順美学」と呼ばれ、戦後日本の映画界に衝撃を与えた鈴木清順。
「理屈よりカン。難解なところがあっても、理解なんかされなくても、伝わるものは伝わるんだ」という信念を貫いた映画監督。
大正12年(1923)、東京の久松町(現日本橋)に生まれ、学徒動員でフィリピン・台湾を転戦し弘前大学卒業後に映画界へ足を踏み入れた。
食うために入った映画界であったが、松竹大船撮影所の戦後第一回助監督試験を合格。助監督をつとめる中、昭和29年に日活へ渡る。
昭和31年(1956)「勝利をわが手に」にて本名の鈴木清太郎名義で初監督を務めた。昭和33年(1958)に清順に改名し「暗黒街の美女」を手掛けた以後は数々の映画を製作し、独自の世界観をつくりだし熱狂的なファンに支持されていく。
その後も活躍を続け世界的にも評価される一方で、「映画は理屈じゃないんだ」という強気の姿勢を含め先進的な映像世界が一般的でないとされ、昭和42年(1965)「殺しの烙印」を機に日活を解雇、映画上映会などへの映像の貸出も禁じられた。このことは「鈴木清順問題共闘会議」など社会問題にも発展したが、約10年にも及んで映画を撮ることが出来なかった。
約10年の空白の時間を経て昭和55年(1980)「ツィゴイネルワイゼン」を制作。難解だが耽美なこの作品は「陽炎座」や「夢二 三部作」と並び鈴木清順の代表作のひとつとなる。
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さて今回はそんな鈴木清順の直筆草稿となります。
「落葉松」
鉛筆書200字詰12枚 「北奥百景(用美社)」掲載
本作品は用美社から出版された「北奥百景」に掲載されたものです。
本書は青森県の地方新聞の文化欄である〈美のプロムナード〉のエッセイ100回分を一冊にしたもの。
著者である村上善男は東北の地に根をはり、東北の風土と一貫して向き合い続けた美術家である。
村上は1950年代後半から活動を開始し、1960年代には注射針を画面に無数貼り付けた作品、さらには計測器具、新聞、各種統計図等にあらわれる数字を構成した作品で高い評価を得た村上は、1970年代に入って気象図や貨車をモチーフにした作品へと展開した。
1982年以降は弘前市を拠点に活動を続け、古文書や釘を用いた「釘打ち」シリーズを数多く手がけました。
鈴木清順と村上善男は10歳ほど年齢が離れていますが、村上が1982年から弘前大学にて教鞭をとったこともあり同じ弘前大学出身の鈴木に依頼したのかもしれません。
直筆の原稿はあまり市場には出回りませんのでこの機会にいかがでしょうか。
https://www.natsume-books.com/detail.php?id=402060
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※本文章は分かる範囲で調べたものも多く、また私見も多く入っているので間違ったところやおかしいところなどがあるかと思います。
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