1927-1992 日本(大分県) 独学で絵を学び上京後、新制作展・自由美術家協会展に入選する。自由美術協会・主体美術協会会員などを経て、以後無所属として九州、小倉を拠点として個展を中心に制作発表を行った。一貫して人間をモチーフとし、褐色、灰白色を基調にジャコメッティに傾倒した細い線による人体を表現した。自然光を遮断したアトリエの闇の中で、自己を凝視し、ものの奥に存在するものを掴み取ろうと終生もがき65歳で亡くなった。
平野遼 平野清子編
東京セントラル美術館
平野遼
Ryo Hirano
平野遼展実行委員会
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