こんにちは。
いいお天気です。
今日は当店在庫の、ジョセフ・コスースの書籍をご紹介します。
ジョセフ・コスースはコンセプチュアル・アートの代表の作家です。
既製品にタイトルをつけ作品として発表するマルセル・デュシャンは
「芸術とは何か」という問いと解答を生んでいきましたが、その大きな影響のもと、
芸術の機能についてがさまざまな人によって思考される中で
コスースはとくに作品に付随するテキストについてを問題にし、
言葉をメインとする作品を制作します。
彼が展示で使用する言葉、ドイツ語・英語の感覚がつかみがたく、
辞書をひいても、あと一歩の歩み寄れない距離があったのですが、
美術手帖の特集号に、日本語の使われた作品も載っていました。
美術手帖 1994.12 No.698 特集:J・ホルツァー/J・コスース/J・ケージ
この特集はとてもわかりやすくて、興味をそそられます。
並べられたコスースのエッセイの引用のいくつかも、エッセンシャルな部分が伝わりぐっと来るものでした。
インタビューも掲載されています。
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Joseph Kosuth: No Thing, No Self, No Form, No Principle Was Certain
こちらはビニールカバーの細長い本。表紙はもっと銀色です。
カラー図版が多くあります。
▲写真を撮る際、付箋をいったん置かせてもらいました。
展示されている語を読んでみたものです。
Gaste und Fremde: Goethes italienische Reise Guests and Foreigners: Goethe’s Italian Journey.
Review of Works (本日入荷)
Joseph Kosuth: Two Oxford Reading Rooms
限定1000冊のこの本、財布くらいの大きさ。
「オックスフォードの図書室」。詳細がなかなか、わかりかねました。
「ヴォルテールの棚」というページが半分まで続きます。
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「作品と言説は本来、機能がまったく異なるのです。ひとつの言説の絶対化は、芸術のダイナミズムに反します」
生きているなか、人と言葉との間に編まれている個人的な、微妙な関係は、それぞれ別様で、同じ名詞を聞いても違ったイメージを浮かべたりします。
ひとつの言説の絶対化の発生を、批判的に意識していたコスースから、
一人の個人としても選ばれる言葉を、作品で知れるのはとても刺激的な体験に思います。
私たちは彼の作品の場で、いろいろなやり方で置かれた言葉を、新鮮なまなざしで眺めるでしょう。
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そして、哲学の棚に、こんな本もあります。
ポリローグ (ジュリア・クリステヴァ著)
《ポリローグ》というのは新語です。これによって私が示したいと思ったのは、私たちを成り立たせている「ロゴス」(言葉、意味)が、ひとつの全体あるいは総体という首尾一貫性をもってはおらず――あるいはもてなくなって――、複数の論理へと細分されているという こと、それら複数の論理が、私たち一人一人を突き抜け、現代の世界を複数の記号象徴的実践で満たしているということです。実際、夢をみる《私》、赤ん坊の ことばを想像する《私》、ヘーゲルを読む《私》、ジオットやアルトーを解読する《私》――これら複数の《私》は、同じ私ではなく、同じことばを話してはお らず、同じ時間を生きてはいません。
このような作業の一つ一つのなかに、さまざまな論理を呼び集めているのです。したがって、考える《私》という推定された首尾一貫性は、もろもろの意味生成過程から成るモザイクに取って代わられ、それによって私は意識の境界まで、フロイトが「無意識」と呼んだ別の舞台へと、導かれてゆくのです。
(日本語版への序文より)
知らない言葉を知ったり、だれかほかの人の言語感覚に出会ったりするうち、
また、ほとんど忘れそうになったりして、
言葉の曖昧な領域が広がっていくと感じることは面白いですね。
それは無意識にまで染み込むような、癒しの感覚です。
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コスースにつながるアーティストの本、お待ちしております。
夏目書房、ボヘミアンズ・ギルド、神保町ファインアーツでは
随時買い取りを行なっております。
古書から美術品まで、多種多様なものを取り扱っております。
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奥山