どうも。 今回はいま世界的に注目されている美術グループ「具体美術協会」(GUTAI)について調べてみました。
GUTAIとは?
具体美術協会は前衛芸術家、吉原治良を中心に1954年から1972年まで18年間活動した前衛芸術グループ。
1954年8月ごろ、関西の若手の前衛作家たち15人のメンバーによって結成された。吉原治良、嶋本昭三、山崎つる子、正延正俊、吉原通雄、上前智祐、吉田稔郎などである。また、「具体」という名称の提案者は嶋本昭三。 さらに翌年の1955年には、白髪一雄、村上三郎、金山明、田中敦子、元永定正らが参加した。
「人の真似をするな。今までにないものをつくれ」という吉原の理念のもと、近代絵画を継承するのではなく、断絶した表現を挑発する作品が数多くつくられた。炎天下の芦屋公園の松林を舞台とした野外展「真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展」やデパートの屋上でのアドバルーン展など、斬新な作品の発表を続けた。そして機関紙「具体」の発行、東京(草月会館)や関西での「具体展」、梅田のサンケイホールなど舞台での発表などの活動をめざましく展開していった。
やがて具体はフランスの批評家ミシェル・タピエによって「アンフォルメルの日本における一例」として広く海外へ紹介され、高く評価されるようになった。しかしその一方、抽象絵画の団体として紹介されてしまったことで以後の活動は平面作品が中心となり、初期の立体作品や舞台を使ったパフォーマンスなどは徐々に行われなくなる。
1960年代に入るとヨシダミノル、向井修二、松谷武判、前川強、堀尾貞治ら新しい世代が具体に参加し、光や動きを取り入れたライトアートやキネティックアートの導入など、それまでとは違った方向性を見せた。
1962年、本拠地「グタイピナコテカ」が大阪市北区中之島3丁目(旧・宗是町33)に開設される。「ピナコテカ」とは「絵画館」や「画廊」を意味する言葉で、具体を世界に広めたミシェル・タピエが命名したものである。ジャスパー・ジョーンズ、サム・フランシス、ジョルジュ・マチュー、ロバート・ラウシェンバーグ、イサム・ノグチ、ポール・ジェンキンス、ジョン・ケージ、ペギー・グッゲンハイムなどもこの「画廊」を訪れている。1970年4月、グタイピナコテカは阪神高速道路出入口建設のため閉館し、取り壊された。しかし、1971年10月、中之島3丁目(旧・宗是町1)の大ビル西別館に、「グタイミニピナコテカ」を開設する。
1970年の大阪万博にて具体美術協会は、「万国博美術展」への出品、みどり館エントランスホールにおける「グタイグループ展示」などを行う。また、8月31日から9月2日までの3日間、万博会場「お祭り広場」において「具体美術まつり」を開き、大規模な舞台を光やパフォーマンスによって行われた。
順調に活動を行っていたが1972年、具体美術協会のリーダーである吉原治良が死去。同年3月31日、具体美術協会は解散した。
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日本の前衛芸術といえばGUTAIとまでいわれるようになり、近年では世界的に再評価をうけています。
作品、資料、作品集など中々手に入れられない状況が続いておりますが、機関紙「具体」など貴重な資料や関連書籍を紹介致します。
是非この機会に具体に触れていただければと思います。
・具体8 アンフォルメル
ミシェル・タピエ/吉原治良監修
昭32年/丸善/具体編集委員会 日・仏語版 背少傷み
・具体9 大阪国際芸術祭 新しい絵画世界展
ミシェル・タピエ/吉原治良監修
昭33年/丸善/具体編集委員会 日・仏語版
・グタイ ピナコテカ Gutai Pinacotheca
序文/吉原治良
1962年/具体美術館 ホチキス少サビ
・前衛芸術の日本 Japon des Avant Gardes 1910-1970
マヴォ/恩地孝四郎/坂田一男/瑛九/土方巽/岡本太郎/具体/李禹煥他収録
1986年/Centre Georges Pompidou 仏語版
・前衛芸術の日本 1910-1970展 報告書
1889年/ 国際交流基金 少スレ
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