こんばんは♪
只今、ボヘミアンズ・ギルド入口のミニミニおすすめコーナーは恩地孝四郎です!
創作版画の先駆者であり、装本家としても知られる恩地孝四郎は、18歳のときに見た竹久夢二の「夢二画集 春の巻」に深い感銘を受け、創作の道を志しました。
それまで、将来は医者になるよう育てられてきた恩地でしたが、父親に背いて白馬会洋画研究所に入学します。
同時に夢二のもとにも通うようになり、“夢二学校”の生徒となります。
そして、おなじく夢二のもとに通っていた田中恭吉、藤森静雄とともに版画を主とした雑誌の先駆けである『月映』(洛陽堂)を刊行します。
その雑誌『月映』の4号に掲載されている恩地の「抒情・明るい時」は、日本人の抽象画が掲載されたはじめてのものである言われています。
このころの恩地の作品について “ 恩地は夢二的抒情の世界から遠く隔たった地点にきている ” と書かれた評論を読んだことがありますが、はたしてそうなのでしょうか。
私には、「抒情・明るい時」などは特に、夢二のデザインからの影響を感じずにはいられません。
またこの時期の恩地の作品は、手と目をモチーフにしている物が多く見られます。
夢二風の甘美な表現から心情を描く抽象画へと移行していくこの時期。
確かに夢二式美人画風から抽象画へ大きく変化はしていますが、目と手というのもまた、夢二からの得意としたモチーフです。
確かに、この頃は夢二の影響が色濃いですね!
伴(とも)とは、早くにこの世を去った田中恭吉のことでしょうか。
夢二の最愛の人と言われる笠井彦乃。彼女との恋は、悲恋に終わりました。
そんな愛する彦乃へむけて書かれた歌集の表紙は、涙を流す目と、祈るように重ねられた手。
夢二が川で彦乃が山……
夢二の悲しみが伝わってきます。
夢二と恩地ふたりの関係をもっと知りたい!という方は、是非ボヘミアンズ・ギルドへお越し下さい♪